Write off the grid.

阿部幸大のブログ

アートとしての論文 人文系の院生が査読を通すためのドリル

0.Ars longa, vita brevis

 

本稿は、査読論文がなかなか書けずにいる人文系の大学院生に向けて書かれている。

 

日本の人文系の院生は研究職を目指している場合が多く、そのためには業績が必要になる。具体的には、諸学会が発行するジャーナルに学術論文を投稿して、査読と呼ばれる審査過程をクリアし、採用・出版にこぎつけなくてはならない。

 

わたしはまだ就活を経験していない院生だが、大学による公募要項を見るかぎり、業績は最低3本必要である。だから、博士号の取得を終えた時点で就活に移るとすると、博論のまえに3本の査読論文を書かなくてはならないことになる。……じつは実情はそうではないのだが、とりあえずこの前提で話を進めよう。

 

ところで以前、私は「文体を作ろう!」というエントリを書いたことがある。そこで紹介したのは、英作文の初級者から中級者に移行するための、そのためだけの、方法論だった。当時の私の英作文力は中の下だったが、初級から中級へのブレイクスルーを起こすための学習モデルを提示するのに、上級者である必要はない。

 

今回の事情もこれと似ている。授業や学会で何本か論文めいた文章を書いてはみたものの、有名な学会誌の査読になんて通りそうもない、これは通る/通らないだろうという基準さえない、ていうか全体的によくわからん、やばいかもしんない、そういった院生にむけて──つまり、つい数年前の、初級者の自分にむけて書かれている。

 

この文章で私が提供できると思うのは、日本の人文系の学生が、初級者から中級者にレベルアップするための、そのためだけの、方法論である。

 

うえで「実情はそうではない」と書いたが、じっさい就活時に査読論文が3本揃っているプレイヤーは稀であるらしい(だったら自分も書かなくてよくね?と思うならこの文章を読む必要はない)。これは誰のせいでもない、というか、就活の基準と大学院の制度が噛み合っていないことを意味しているのだろう。

 

だがそれが達成しにくいのは、能力や制度の問題だけではなく、そもそも人文学において論文の執筆方法というものがうまく言語化されて共有されておらず、「賢さ」や「面白さ」といった漠然としたイメージによって、むやみに神秘化されているせいであるように思われる。あえていえば、それは教育のせいである。

 

そこで、本稿では私の経験と挫折と試行錯誤といくつかの成功体験を活かして、論文の書き方を解体し、誰にでも練習できるよう、いわばドリル化してみたい。もちろん、これは論文が書けるようになる方法の唯一の正解などではないし、優秀な人々は「そんなことしなきゃ書けないの?」と嗤うだろう。

 

だが論文は才能などなくても、そこそこのものは書けるようになる。過去の私と同様、そのことに救われる院生が多いことを私は確信している。さらに、博論以前に「査読論文くらいは何本でも書ける」というレベルに達する院生がぐっと増えれば、人文学はもうすこし盛り上がるのではないか、とも思っている。

 

□ □ □ □ □ □ □ 

 

Ars longa, vita brevis という有名なラテン語の格言がある。最初の ars は英語の art だが、これはラテン語でも英語でも、いわゆる「芸術」にかぎらず、「技術」一般を指す言葉である。「技術は長く、人生は短い」。医療も、料理も、スポーツも、そして論文執筆も、すべて一種のアートである。

 

人文系の院生は、喩えるなら、座学と観戦とぶっつけの試合だけでスポーツ選手になろうとしているような、それくらい無茶なカリキュラムで論文というものに取り組んでいる場合が多い。それで成功する人間もいるのだろうが、私には絶対に不可能だった。録画した試合をコマ送りで解析・研究しなくては、なにひとつわからなかった。

 

論文は要素に分解して練習が可能な技術の総体として出来上がっている。試合がパスやシュートやドリブルといった基本的な技術の応用の総体なのと同じだ。そして人文系のカリキュラムにはその視点が、すなわち論文をひとつのアートとして眺めるプラクティカルな視点が、著しく欠けているように思われる。

 

アートとしての論文。才能に恵まれない院生にとって、第一に必要なのはこの発想である。「才能」や「賢さ」や「面白さ」を信奉する者にとって、これはダサい。だがこのダサさを受忍して3ヶ月でも真剣に実践してみるとき、あなたは、もはや試合で周囲の院生が誰も自分のプレイを止められないことに気付くだろう。そこが研究の入り口である。Ars longa, vita brevis.

 

 

1.査読とはなにか

 

わたしは現在アメリカの大学院で比較文学というところに所属していて、日本で掲載された査読誌は、日本英文学会が発行している『英文学研究』と、日本アメリカ文学会の『アメリカ文学研究』である。とくに前者は会員数3000人という人文系では日本最大規模の学会で、私の業界では、全員がここへの論文掲載を目指すと言ってよい。同誌はひとつの基準になるだろう。


この『英文学研究』は新人賞を設けており、毎年その選評が学会誌に載るのだが、そこに、ふつう諸学会が(なぜか)シークレットにしている査読の審査基準というものが公開されている。その内実は以下のようである。

 

  1. Originality(発想・テーマ・研究方法等)
  2. Evidence(文献・資料・実例・典拠等)
  3. Coherence(論理性・論のまとまり等)
  4. Presentation(文章表現力・用語の適切さ等)

 

これを私の言葉で勝手に言い換えれば、①面白さ②勉強量③ミスのなさ④文章力、となる。これらを、各5点、合計20点満点で採点しているらしい。これは新人賞のための基準なのだが、新人の新人性についてのクライテリアがないので、人文系ならどの査読誌でも大差ないと考えていいと思われる。

 

そしてさらにこの選評には、面白いことに、例年 Originality の点数がもっとも高く、低いのは Evidence と Coherence だ、とコメントがある。そう、人文系の院生は「面白さ」に囚われるあまり、地味な作業をおろそかにする傾向にあるのだ。これは英文学会新人賞の例だが、たぶんあなたにも心当たりがあるだろう。

 

面白さは重要である。だが考えてみてほしいのだが、いやしくも学術論文である以上、「アイディアは面白いが文章は稚拙で先行研究の引用もない破綻だらけの論文」と「先行研究を踏まえて堅実な議論をしているが陳腐な論文」では、後者に軍配があがってしまう。だから、あくまで査読論文を書くという目的において、上記の偏りは致命的なのだ。

 

私は上述の各領域(とその先)についてそれぞれトレーニング方法のノウハウを自己流で培ってきたが、本エントリで紹介するのは、おもに Evidence についての数値的なデータを客観的に把握するための方法論である。だがこの4点は互いに独立しているわけではない。それは読んでいるうちに徐々に見えてくるだろう。

 

以下の方法論は、おそらくかなり奇妙、ほとんど奇怪なものである。たぶん読みながらあなたは何度か笑うだろう(面白いからではない)。だがもし、あなたが論文をなかなか書けずに苦しんでいる院生なら、これを実践して絶対に後悔はさせない。私の全業績にかけて保証しよう。

 

 

2.データ解析、フォーム編

 

論文を書こうと思うなら、まずはモデルとなる論文を見つけ、それを真似るのが最短距離である。

 

ここでは査読論文を書くことが目標なので、もっとも簡便なのは、狙いのジャーナルそのものに掲載された論文を選ぶことだ。何本か用意しよう。そして、もし可能なら、3本以上の論文を書いている著者を見つけることをお薦めしたい。理由は後で述べる。

 

ちなみに、ここでは大学の紀要や『ユリイカ』『現代思想』などの商業誌に掲載された文章は避けたほうがよい。なぜなら、それらは必ずしもあなたが目指している査読論文のルールに則って書かれているとはかぎらないからだ。そして本エントリは、そうした差異を自力で見極められない院生を想定している。媒体で選ぼう。

 

また、単著のチャプターもお薦めしない。それは、たいてい論文よりも長く、スケールの大きな議論をしているためだ。いま目指すのはあくまでも査読論文であり、それは学術的な価値のある文章として、もっともルールが明快で、もっとも規模が小さく、もっとも書くのが容易な(!)、文章である。

 

さて、お気に入りの論文を見つけたとしよう。そうしたら、以下の作業を行う。

 

1.すべての段落に番号をふって何段落あるか数える

2.第一段落が何字(外国語なら何words)で書かれているか数える

3.目視で、各段落がどれくらいの長さかざっと測定する

4.総和がジャーナルの要項にある字数制限とおよそ一致するか確かめる

 

つぎに、これを自分の書いた同じ長さの文章でもやり、数値を比べてみよう。たぶんほとんどの院生は、各段落が短く、したがって、全体として段落の数が多いはずである。

 

アカデミック・ライティングの基本中の基本は、パラグラフ・ライティング(PW)である。その基本構造は、最初にテーゼを提示し、そのテーゼを証明して、最後にもういちどテーゼを繰り返す、というものだ。すなわち、1つの段落では1つのことしか言えない。これをワンパラグラフ・ワントピックの法則という。

 

ちなみに、こういった大学の教養課程が教えるような基礎は馬鹿にされる傾向にあるが、もしあなたがまだ自分の専門分野の主要誌に論文を書けていないなら、そこで盛大にコケている可能性が高い。これは無数の先人たちが重要だと教えている規則なのだ。「当たり前ができてない/簡単でもわかったフリはもうやめよう」と嵐も歌っている。謙虚になろう。Step by step.

 

さて、ここから2つのことがわかる。

 

第一に、段落が短い、ということは、その段落で提示するテーゼの証明が不十分である、ということを意味する。プロはひとつのテーゼを説得するために、院生よりも多くの字数を割いているのだ。この視点からプロの書いたパラグラフをよく読めば、パラグラフとは何かが見えてくるだろう。これはまたあとで。

 

もしあなたの段落数がモデル論文と同じくらいであっても、自分の各パラグラフがPWの規則に従って書かれているか見直してみるといい。ぎゃくに長過ぎる例では、私が見たかぎり、パラグラフに複数のテーゼが混在している場合が多い。PWに則りながらも段落が長い場合、さしあたり気にしなくてもよい。

 

第二に、段落の数が多い、ということは、ひとつの論文で提示するテーゼの数が多すぎる、ということを意味する。たいてい院生は1つの論文で色々なことを言い過ぎていて、これは多くの場合、核となる中心テーゼに向けて各パラグラフをうまく組織化できていないことの現れである。

 

たとえばモデル論文の平均値が25段落だったとしよう(だいたいそれくらいなのだ)。それが示すのは、25のテーゼがあれば論文は成立するということであり、ひいては、それ以上あってはいけないということだ。つまり、それがあなたが書こうとしている形式の論文において可能なディスカッションの規模なのである。

 

良い論文を書くには、まず個々のパラグラフをうまく書けることが必要条件となる。そのために、まずはパラグラフの物理的な長さと数を把握することは、あなたのアイディアを論文という容器のなかに固定するための制限を与えてくれる。

 

また、同一著者の論文を複数読むことを提案した。これについて説明しよう。

 

聞き流してほしい持論だが、私は査読論文の業績の本数について、0本と1本の間には大きな差があり、1本と2本の間にも大きな差があり、そして2本と3本の間に差はない、と思っている。1本ある人はすくなくともベスト論文が査読基準の最低値に達したことを意味し、それを2回超えた人は、だいたい3本以上書けるのだ。

 

これが正しいかどうかはさておき、3本以上書いているひとは、ほぼ間違いなく一定のフォーマットを持っているものだ。そして、同一著者の論文を横断的に解析すると、それらの共通点と差異が浮き上がって見えてくる。ひと1人を見ても何も思わなくても、そっくりな親子を見ると一挙に顔の特徴が前景化するようなものだ。つまりパターン抽出がやりやすいのである。

 

ここで見た振れ幅は、最終的に自分で論文を書くときのアレンジの参考になる。ヒントとして、ここではイントロの着眼点の例を挙げておこう。

  

イントロは何段落あって、それぞれ何をしているか?最初の導入をどのように開始しているか?問いはいつどこで提示しているか?中心テーゼ(結論)はいつどこでどのように提示しているか?それをどのように強調して印象づけているか?どのように先行研究との差異を提示して論文の価値を自己正当化しているか?すでに先行研究をdisっているか、それとも別の方法で差異を打ち出しているか、あるいは失敗しているか?先行研究への言及はどの規模のディスクールまで届いているか?すごく近い話をしている専門家か、それとも超有名な哲学者か?イントロの時点でどんな議論を何本くらい引用しているか?どの段階でどのように論文全体の要約を提示しているか?各セクションを「以下ではまず〜つぎに〜」とベタに要約しているか、それとも、もっと抽象化した要約で攻めているか?イントロが2段落の論文と5段落の論文ではイントロの機能はどう違うか?

 

 

3.データ解析、エビデンス

 

つづいてエビデンスである。エビデンスにも色々あるが、ここでは一次資料二次資料というよくある分類を使う。たとえば、ある小説作品を論じるとしたら、その小説が一次資料、その小説について書かれた論文、その他もろもろが、二次資料である。

 

もしあなたのモデル論文に参考文献表がついているなら、まずはそれを見て、二次資料が何本あるかカウントしよう。そして、書籍は何冊か、ジャーナル論文は何本か、それらは一次資料について直接的に論じたものか、それとも別分野の議論を持ってきているのか、書籍はチャプターからの引用か、イントロ/結論からの引用か、などをチェックする。(あとで本文を読みながら、本文中でダイレクトに引用しているのは何本か、注で触れているだけのものは何本か、何本disっているか、なども数えておくと参考になる。)

 

人文系の論文における二次資料の数はおそらく、25本くらいが普通であると思う(パラグラフの数と同じだ)。もちろんアーカイヴ研究ならズラリと50本以上ついていることもあるし、5本以下などというつよつよの論文も世の中にはあるが、まずは20-30を目安にするとよい。

 

これも逆に考えると救われる面がある。つまり、原理上テーゼが25あれば論文の骨格が完成するのと同様、1本の論文を書くために読まなくてはならない資料は30-40くらいである(すべてを引用に使えるわけではない)。これは先行研究を潔癖的に精査しすぎてアウトプットに移れない院生の解毒剤になるだろう。精査は立派だが、院生には時間がない。繰り返すが、査読論文というのは規模が小さいのである。

 

これくらいはやったことがある人もいると思う。が、ここでのデータ解析の核心は、本文における一次資料と二次資料の引用を色分けして蛍光ペンでハイライトする作業だ。エビデンスを量的に可視化するのである。

 

ちなみに余談だが、私は小説についての作品論を書くことが多く、 小説が一次資料、文学研究者によって書かれた論文が二次資料で、さらに直接関係のない哲学系の議論を引用することが多いので、これを三次資料と勝手に呼んで区別している。これに興味があるひとは3色に分けてもよいだろう。

 

さて、これを行ってさきほどのデータ解析と照合すると、各段落でどのくらい第一資料/第二資料を引用すればいいのか、ということが見えてくる(意外に少なくて安心するだろう)。そして同時に、1パラグラフにおいて自分で書くセンテンスが何文くらい必要なのかもわかる(これも意外に少ない)。具体的な執筆の場面においては、テーゼが20個ほどできたとして、引用する文章をそれぞれに配分すれば、もうそれは完成から遠くないメモになる。

 

ところでパラグラフの数と引用文献の数はどちらもだいたい25くらいで、同じなのだが、これはひとつのテーゼをパラグラフで証明するために、最低1つは二次文献を引用して傍証しましょう、という教訓として受け取っておこう。

 

 

4.パラグラフを味わう

 

やっと内容に入る。が、もちろん論文から書き方を盗む作業において、冒頭からフムフムと読んだのでは意味がない。

 

ここで行うのはまず、各パラグラフを1文に要約する作業である。英語だと25wordsくらい、日本語だと50字くらいだろうか。全段落をキレイに1文に圧縮することはできなくてもかまわない。さほど字数に拘る必要はないが、長すぎてはいけない。ふつう最初と最後に重要な文がある

 

ここで抽出される文章は、各パラグラフのテーゼである。AはBである。CはDである。EはFである……。これができたら、そのテーゼを証明するためにパラグラフがどのように構築されているか、という視点から、その段落の各センテンスとその配置を深く味わってみよう。センテンスをすべて書き出して、それぞれの機能を自分の言葉で説明してみる、というのも手である。かなり多くの発見があるはずだ。

 

「味わう」などと書いたが、パラグラフを漫然と「読む」のではなく、その役割を理解して、各センテンスの、いや全単語の役割と効果に耳をすませ、それらを深く把握するという作業は、まさしく芸術作品を味わう態度に似ている。こうして徐々に、自分には書けないと思っていた査読論文のアラが見えはじめる。当然ながら、自分の文章の一語一句にたいする感度も劇的に向上することになるはずだ。

 

すでに明らかだろう、この作業は最初に述べた Presentation(文章力)と密接にかかわっている。「面白いけど文章はヘタ」という例を出したが、ぶっちゃけそんな人はまずいない。優れた書き手は全領域に満遍なく配慮しているものだ。それは全領域において優れている超人だから、というよりも、各領域が繋がっているからなのである。

 

さて、ふたたび執筆の場面から考えてみよう。論文を書く過程で、ひとはばらばらのテーゼを断片的に思いつく。この裸のテーゼたちを、接続詞を使ってなめらかに繋げ、最後まで論理が通ったとき、それはほぼ論文の完成である。AはBである。しかし、CはDである。また、EはFである。したがって、GはHである。QED。この過程で、その中間を埋めるパラグラフが必要であることが判明して、そのための勉強が挟まることもある。

 

各パラグラフ要約から出来上がったものは、全体の要約になっている。だいたい1000字くらいだろうか。私の業界では 600words 程度の英文要約を論文と一緒に提出するのだが、 25words×25¶ がちょうど 625words である。これは abstract(100-200words)ではなくて synopsis と呼ぶ。上記は、これを他人の論文から抜き出す作業だ。

 

自分の執筆過程において、この短い文章を論理的に破綻なく(Coherentに)書くことができれば、その論文は成功する可能性が高い。ちなみにその短い要約は、論文を書きはじめる前に完璧なものを作る必要はない。本文を書きながら synopsis を育てていけばよいのだ。これは執筆時の地図として、ものすごく役に立つ。

 

また、ここで抽出された長い要約(1000字)を、abstract の長さ(200字)に、さらに1文(20字)にまで圧縮してみよう。それがその論文のメイン・テーゼであり、25の小テーゼすべてを、その大テーゼを証明するために組織だてて奉仕させるのが理想である・・・が、そこまで完璧でなくても、もう査読の最低ラインなどとっくに超えているはずだ。執筆時はこのメイン・テーゼが確実に読者に伝わるように書こう。

 

日本にいたころ、アメリカ帰りの先輩に「イントロで論文の主旨と要約を述べないのはありえない、なんだこれは」とひどく叱られたことがある。これを聞いて、私は「あ?誰がそんなことやってんだ」と思ったが、そう言われて読んでみると、なるほど誰もがそのように書いているではないか。マジっすか。

 

つまり、論文を読んで内容を理解するという普段の勉強(試合観戦)は、私のような学生にとって、論文を書く作業とはかけ離れている。言い換えれば、書けないやつはちゃんと読めていない。だがさらに言い換えれば、書けるようになるとすげー読めるようになってくる。だからインプットとアウトプットは交互にやったほうがいい。

 

ここで Originality(面白さ)の問題に立ち戻りたい。

 

「面白さ」という判断基準はきわめて厄介で、すべての人文学者に憑いてまわる亡霊である。じっさい何を論じさせても抜群に面白いアイディアを思いつく天才的な論者は存在し、私は個人的にはそういった人々の面白さに(もしかすると最大の)敬意を抱いている。

 

だが Evidence を中心に見てきた本エントリの立場から言っておきたいのは、「面白さ」は第一に先行研究との差異を示して自分でデモンストレートするものだ、ということだ。論文で求められるのは、たんに面白いっぽいことを言うことではなく、先行研究を踏まえて「これは新しくて大事です」と示すことである。そもそも勉強しないと、何が凡庸で何が面白いのかなど真に判断できはしない。論文において「面白い」という評価には要注意である。

 

もうひとつ。「面白さ」というと、文章が面白い、という意味に聞こえかねないが(そしてそれは価値のあることだが)、誰にでも考えることができ、そして考えるべきなのは、上述した1文に圧縮した大テーゼが先行研究との差異において Originality を持つかどうか、という判断である。専門家にとって「面白い」とは、先行研究への介入におけるクリティカリティの度合いである。それは、勉強によって作ることができる。

 

ちなみにこの視点は、「かりにこのテーゼを証明すれば価値のあることを言ったことになるか?」という判断を1文において考えることができるので、手持ちのアイディアを論文化するかどうか決める指標になる。生産性の高い研究者の秘訣のひとつは、書く前に論文の価値を正しく予知できているので採用される文章しかそもそも書かない、という点にある。

 

 

5.おわりに

 

以上は、初級者の院生の多くが躓いていると思われる一番大きな石を除去するためのアイディア(の一部)である。これはかなり図式的にモデル化した説明であり、すべてをこのまま忠実に再現する必要はまったくない。このうちいくつか参考になりそうな要素を実践して、それがあなたの役に立てば本望である。

 

ところで、強調しておかねばならないが、論文は何本も書かないと書けるようにならないものである。最初の査読論文を通すまでに、同様の形式の文章を、どんなに少なくても5本は書いて失敗する覚悟が必要だろう(私は20本くらいかかった)。院生の期間は意外に短いので、授業の発表原稿や期末レポートを、査読誌に投稿する論文だと思ってつねにガチで書くことを推奨したい。

 

冒頭でも述べたように、もしこうした段階をクリアし、はれて査読誌に2-3本の論文が載ったとしても、それはまだ研究の第一歩にすぎない。すなわち中級者の仲間入りにすぎない。とくに1本目の査読論文は嬉しい達成だが(私は1ヶ月くらいシャカシャカベイブしていた)、それは決してゴールではなく、自分の勉強の方向性が大きくは間違っていない、ということを確かめるための──それだけの──試金石だ。

 

最終的に、論文というのは意外なほど自由である。当然、上述のフォーマットなどすぐに不必要になるだろう。業績が揃ってくると、焦りも消え、遊びの余地が生まれ、人に読まれ、書くのは楽しくなる。論文の世界はどこまで行ってもシビアでシリアスだが、そこでプレイヤーとして闘えることは、ものすごく楽しい。このゾーンに入れば、論文はもはや自己表現の場となり、技術はそのための手段となる。そこからが本番だ。

 

だが、まずはダサい型を身に着けることなくしてその自由を謳歌することは、ふつうはできない。だから、持ち前のセンスで論文を書くことができないのなら、いったん「賢さ」や「面白さ」は断念して、さっさと査読など技術でクリアしてしまえ。そこからまだまだ長い道のりがあるのだから。そして、人生は短いのだから。

『少年ジャンプ』における成長の3つのパターン


少年マンガのストーリーを牽引する最大の動力、それは 成長 である。

 

このほど、大好きな『ブルーピリオド』についての論考を書いたところなのだが、この芸大受験マンガは、ある意味で成長そのものについて思弁するマンガ、「メタ成長マンガ」とでも呼べそうなマンガで、書きながらマンガと成長について色々と考えることになった。しかしその部分が論考に収まらなかったので、独立した記事を用意した次第である。

 

ちなみに、その『ブルーピリオド』論はここで読める。

 

 

以下の文章は「成長とは何か」といった抽象的な論考ではなくて、ごくシンプルに、週刊少年ジャンプ』に連載された代表的なマンガにおける主人公たちの成長を3つのパターンに分ける、という、きわめて形式主義的な内容である。

 

(ちなみに少年マンガと「成長」の関係については、有料で申し訳ないが、友人の足立伊織が「ぼくたちの成長──少年マンガの「少年」とその時間性」という論考を書いているので、興味があれば)。

 

もちろん以下は網羅的な議論ではなく、ラフな分類にすぎないし、『ジャンプ』をネタに選んだのも、たんにわたしが昔から『ジャンプ』を読んできたからにすぎない。

 

わたしはマンガに詳しいわけではまったくないので、「え?あの作品は?」とか、「この作品はどこにも当てはまらない」とか、「そんなんジャンプだけでしょ」とか、マンガ通の人々は不満に思うかもしれない。

 

が、まさしく本エントリの狙いはだいたいそのあたりのリアクションを引き出すことで、ざっくりした見取り図を提示して、その先の、より包括的で歴史的で正確な議論のための叩き台になればよいと思っている。

 

 

① 100→∞ パターン

 

これが『ジャンプ』の王道である。

 

ドラゴンボール』の悟空、『ONE PIECE』のルフィ、『HUNTER✕HUNTER』のゴン、『キャプテン翼』の翼、みんなはじめから超人的・天才的な才能をみせ、そこからさらに際限なく成長してゆく主人公たちだ。

 

ドラゴンボール』におけるスカウター数値のインフレが象徴しているように、このタイプの成長には際限がない(ボンッ!)。天才から始まって、永久に右肩上がり、ということで、わたしはこれを「100→∞」パターンと呼んでいる。

 

この系譜の主人公は、だいたい天真爛漫・猪突猛進、死にかけても肉を食うだけで全回復するやべぇヤツらで、誰にも止められないパワーと、その傍若無人ぶりにもかかわらず、周囲の人を惹きつける魅力を持っている。「うるせェ!!行こう!!」

 

また、彼らを引き立たせるために、ベジータのような準・天才キャラが用意されるケースが多い。主人公の自意識のなさと対照的に、彼らは「天才だと思ってたら上には上がいた」的な挫折と屈折を表明する。「がんばれカカロット…おまえがナンバーワンだ!!」

 

物語の終盤、インフレの結果として、惑星がバンバン破壊されるとか、不条理な世界観に突入することも多い。『テニスの王子様』は、宇宙でテニスをしても仕方ないので、インフレの余剰エネルギーがギャグめいた奇想として昇華した例だとみなすことができる。その意味でこれは『キャプテン翼』の正嫡だといえるだろう。

 

② 0→100パターン

 

2番めに重要なのがこのパターンで、『NARUTO』のナルト、『僕のヒーローアカデミア』のデク、『ワールドトリガー』のオサム、『ヒカルの碁』のヒカルなどが、ここに属する。他にも、『マキバオー』、『アイシールド21』、『ダイの大冒険』などが挙げられる。①のメジャー感には劣るが、こちらも名作ばかりだ。

 

彼らも右肩上がりにぐいぐいと成長してゆくが、第一にスタート時点で「落ちこぼれ」であることが強調される点、第二に、①の無限の成長とちがって、こちらでは「火影」になるとか、到達可能っぽいゴールが可視化されている場合が多い点が異なる。というわけでこれは「0→100」パターンと呼ぶのがいいだろう。いいってばよ。

 

悟空とベジータの関係をちょうど反転させたようなかたちで、この系譜では、影のあるメランコリックな「天才」が、「落ちこぼれ」の主人公とセットになる場合が多い。上で挙げた例だと、サスケ、カッちゃん、遊真、アキラである。ただし彼らはいずれ、序盤は眼中になかった存在であるはずの主人公に追い越されることになるだろう。「俺のサイドエフェクトがそう言ってる。」

 

ここに分類すると面白いのは『スラムダンク』なのだが、これはいささか特殊なので、最後に詳しく論じる。「秘密兵器は温存しとかないと。」

 

 

③ 100→100パターン

 

このパターンは、主人公がはじめから最強で、かつ、「少年」と呼ぶにはいささか高齢で、あまり成長してゆかないという顕著な特徴をもっている。『北斗の拳』、『シティーハンター』、『忍空』、『ぬ~べ~』、『るろうに剣心』、『トリコ』などがこの系譜に属する。

 

これらのマンガの主人公は、いちおう成長するのだが、その加速度は①②とは比べ物にならない。最初から最強で、そんなに成長しない、ということで、「100→100」である。青年誌のマンガはこのタイプの主人公が多く、ひるがえって、いかに少年マンガが成長パワーに依存して描かれているかがわかるだろう。

 

このパターンでは、「かつての乱世で最強と謳われ畏れられた主人公が、当時の暴力的な自分を封じ、隠居生活に入っているハズが、とある事情で昔の力の解禁を余儀なくされる」といった設定が多い。しばしば物語の終盤では彼らが暴力を封印した理由であるところのトラウマ的な過去が明かされ、陰鬱な雰囲気が漂う。『銀魂』ではこれがギャグ化している。

 

サブキャラについては、主人公をメンターとする年少者・弱者が定番で(ケーン!)、しばしば物語の終わりのエピローグにおいて、彼らが次世代を担うことが匂わされる。ちなみに『DEATH NOTE』のライトは③に分類できるが、人物相関図には、L、ミサ、リュークという3者が絡んでおり、特殊な例である。

 

ネウロ』もこの系譜だが、ここで『暗殺教室』を考えると面白い。渚とカルマは②のパターンにぴったり当てはまるが、しかし、このマンガにおいて殺せんせーは完全に主人公級のプレゼンスを持っている。したがって『暗殺教室』は②と③のコンビネーションで、こうして見ると、全然似ていないマンガだが、意外に『ヒロアカ』と『ぬ~べ~』の中間あたりの構造を持っていることがわかる。

 

④ 『スラムダンク』という例外

 

というわけで3つに分類してみた。

 

もちろんこの図式には限界があって、たとえば『幽遊白書』『BLEACH』『鬼滅の刃』あたりはうまく分類しにくい。主人公の才能や意思にかかわらず、暴力に巻き込まれて(誰かを助けるために)異能系の修行をせざるを得なくなる、みたいな流れの作品群で、終盤で血統の重要性が浮上してくる点も共通している。

 

これに頑張って名前をつけてもいいのだが、成長という観点での分類ではあまりうまく行かなそうなので今回はやめておく。えっ、諦めたらそこで試合終了……?

 

さて、最後に、②で触れた『スラムダンク』の例外性について簡単に論じたい。

 

これは驚くべきマンガである。けっしてバスケの天才ではない桜木花道を主人公に据えておきながら、彼はあんまり上手くならないのだ。いや、もちろん成長してゆくのだが、なみいる『ジャンプ』の主人公たちの天才ぶり・成長ぶりに比べれば、花道の成長などほとんど「0→0」だと言っていい。

 

『ジャンプ』という少年誌で、しかもスポーツという題材でのこのリアリズムは、きわめてリスキーな邪道である。あまりにも地味だからだ。というわけで、このマンガはほとんど反・成長物語だと言える──いや、成長が『ジャンプ』の柱なのだとすれば、これはもはや反『ジャンプ』マンガだと言ってもいい。

 

このアンチ精神は、『スラムダンク』というタイトルと内容の齟齬にも現れている。というのも、物語のクライマックスでもっとも重要な役割を果たすのは、豪快なスラムダンクではなく、「左手はそえるだけ」の地味なジャンプシュートなのだから。『ジャンプ』に連載されている『スラムダンク』という名のバスケ漫画のクライマックスが「スラムダンク」ではないなどと、誰が予想できただろう。

 

ここでさらに面白いのは、花道の決めゼリフが「天才ですから!」だという事実である。

 

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バスケの天才ではない彼による、この無根拠であるはずのセリフが滑稽に響かないところに、『スラムダンク』の凄さと謎がある。なぜ天才ではない花道の「天才ですから」は感動的なのか?

 

それはおそらく、花道という凡才の主人公によって王道を打ち立ててしまったスラムダンク』というマンガの天才性を花道が代弁しているからなのではないだろうか。

 

わたしたちが花道の「天才ですから」に聞き取るのは、ジャンプ的な天才性にたいする『スラムダンク』というマンガの挑戦であり、そして、桜木花道という「庶民的」な天才による、その勝利宣言なのだ。

「前置詞」の勉強ってしたことある?『熟語本位 英和中辞典』への道

 

0.はじめに

 

いきなりですが、あなたは talk away という熟語の意味がわかりますか?

talk「話す」、away は「離れて」という意味で、これは知っていると思います。

 

が、これじつは、「ぺちゃくちゃ喋りまくる」って意味なんです。

 

なぜこんな意味になるのか?

それは away に「継続」「どんどん~する」という意味があるからなんです。

 

これを知ってた人も知らなかった人も、こういった馴染み深い簡単な単語こそ奥が深いということは、なんとなく知ってたと思います。

たとえば、もし中学や高校で良い教師に恵まれれば、「on を「上」と覚えてはいかん」ということで、a picture on the wall(壁にかかった絵)、a fly on the ceiling「天井にとまったハエ」などの例を挙げたうえで、これらより、「on は「接触」を意味するのじゃ」と教わったことがあるかもしれません。

あるいは、わたしが入学した年の東大の英語では、down the hall という3語を訳せ、とう、いやらしい問題が出ました。ほとんどの受験生は、これを「ホールの下で」などと訳したはずです。これは、まず hall を「廊下」と訳せて1点down を「奥」と訳せて1点です。up や down は垂直方向だけでなく、水平方向にも使えるんですね。

 

すべての前置詞は、このような豊かな奥行きを持っているんです。

 

そして、わたしたち英語学習者は、このような「単純に見えて奥が深い」単語を、なんとなく読み飛ばし誤読していることがかなり多い。このことは推測できると思います。

さらに、そうした単語は、当然ながら、遭遇の回数がとても多いです。それで、多くのセンテンスが「なんとなく」理解されてしまうことになる。だから、

 

ムズい単語を覚える作業と並行して、

易しい単語の勉強もしよう


語彙を「広げる」だけでなく、

   「深める」勉強をしよう。

 

それが本エントリの主張であり、また、その勉強方法のヒントとツールを紹介するのが、本エントリの内容です。

 

本連載の第1回(ライティング編)第2回(スピーキング編)理論編でした。

それに対して、今回は、10冊の本を紹介しつつ「この前置詞にはこんな意味もあるんですよー」とちょっとばかり解説し、最終的に、「前置詞の勉強、面白そう!」と思ってもらうのが目的ですね。

 

てなわけで、続きをどうぞ。

 

このカッコ内は読み飛ばしてください。文法にあかるい読者ならすでにお気付きかと思いますが、上記 away の品詞は、前置詞ではなく副詞です。なのですが、「副詞を勉強しよう!」とか「不変化詞を勉強しよう!」では、本エントリの趣旨がよくわからなくなってしまうので、ここではざっくりと、主に句動詞において用いられる一連の不変化詞を、品詞名としてわかりやすい「前置詞」で代表させてしまっています。)

 


1.最強の前置詞本、斎藤秀三郎『熟語本位 英和中辞典』

 

ちまたに氾濫している英語勉強本のうち、もっとも意識の高い層の本には、たいていこの斎藤秀三郎の名前が挙げられています。

彼の著書に『熟語本位 英和中辞典』(1915年)という伝説の辞書があるんですが、これの一大特徴は、前置詞の解説が非常に、いや、異常に詳しいということです。

 

前置詞は動詞とくっついて「熟語」をなすのが基本なので、「熟語本位」と名乗っているんですね。つまり前置詞本のつもりで辞書を作っているわけです。

 

たとえば with だけで11ページが割かれていることが「そのスジ」の人には有名で(笑)、冒頭をちょっとだけ引いてみると、

With(ウィヅ)【前置詞】注意:主なる意味は第一、合同共同(誰と共に遊ぶなど)。(より)第二、所持所有(金を持てる人など)。(より)第三、道具機關(金を以て買うなど)。
① 【合、共同】He is with God (=dead). 神と共に在り(死せり)。

といった感じです。最初の例文からヒネったの載せんなよっていう。笑

 

この辞書と斎藤の凄まじさについては、ネット上にも無限に記事がありますし、本も出ていますので、そちらをご覧いただくとして、わたしの趣意は、

この最強の前置詞本『熟語本位』をゴールに据えて、「前置詞スト」に入門しよう!

ということです。

 

ただ、上に引用した箇所に、すでに「前置詞を勉強する」ことの型は見えています。

斎藤はここで with の語義を3つに大別しています。それはどの辞書でも同様ですが、それぞれのあいだに、(より)、と書かれていることに注目してください。

つまり斎藤は、「共に」という誰もが最初に覚える基本的な意味から、段階的・発展的に、別の応用的な意味が派生してくる、と捉えているわけです。

言い換えれば、最初に前置詞の全体像の「ストーリー」の要約を提示し、それにしたがって配置された例文を読んでいくと、前置詞の生涯が見えてくる。そんな設計になっています。

 

ただ、上記のとおり斎藤の本は敷居が高すぎるので、もうちょい入りやすい本から徐々にレベルを上げていこうではないか、というわけです。

 

前置詞という平易な単語の多様性をすこし知るだけで、いままで知らなかった英語の世界が見えてくるはずです。

 

 

2.怪物、柳瀬尚紀

 

わたしの前置詞学習のきっかけになったもののひとつは、翻訳家・柳瀬尚紀のエッセイでした。

かの柴田元幸をして「名翻訳家は何人もいるけど、怪物と呼べるのはこの人だけ」と賞賛せしめた人物ですね。

私家版の英和辞典を出すと言っていたんですが、こないだ亡くなりました。(ただデータはあるはずなので、見たくてたまらない……。)

 

で、なぜ柳瀬の話をしたかというと、柳瀬のエッセイそのものが、前置詞学習の入門にもってこいなんです。

柳瀬は大量にエッセイを書いていますが、まず読むべき本は、平凡社新書の『猫舌流英語練習帖』と、河出文庫の『翻訳困りっ話』です。後者(右)は残念ながら絶版ですね。

 

 

 

内容をいちいち細かく紹介していると終わらないので、ざっくり書きます。

『猫舌流』英語の勉強についての示唆的なヒントにあふれており、とくに第3章で、about や with について詳しめに解説しています。これが前置詞学習という領域への第一歩としてオススメできます(ちょっとクセがあるんですけど……)

『困りっ話』は、勉強エッセイって感じですが、ただ、おそらく『熟語本位』についていちばんアツく語ったエッセイではないかと思います。これもクセがありますが、やる気がでる。笑

 

次に、これは絶版かつAmazon価格が高騰していて「お薦め」はできないのですが、

柳瀬尚紀千倉真理『やるっきゃない英文読解』

 

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(http://amzn.to/2Co8SLH)

という、このあまりにもダサい装幀の、あまりも素晴らしい本があります。これは、柳瀬が千倉の先生役になり、千倉の訳文を手直しするというラジオ番組の文字起こしだったはずです。服も抜群にダサいですね。

③は前置詞解説本ではないのですが、おそらく柳瀬の書き物のなかで前置詞の解説量がいちばん多いのは本書だと思います。

もし図書館などで閲覧できるようなら、ぜひ一読をお薦めします。


以上の3冊は入門編で、文字どおり、前置詞ワールドへのイントロダクションのようなものだと考えてください。

言い換えれば、網羅的な説明はされていないのです。

そして『熟語本位』は、あまりに網羅的なうえに、あらゆる点においてとっつきにくい

 

というわけで、そのあいだを埋めるための参考書が必要です。

 


2.網羅系の前置詞本、2冊

 

前エントリの告知でも書きましたが、わたしはすでに前置詞についての参考書を書いていて、それが暗殺教室という、週刊少年ジャンプ漫画のスピンオフ企画の参考書の、第二弾④『暗殺教室 殺たん 基礎単語でわかる!熟語の時間』です。

 

 

は? と思うかもしれませんが、第1弾(単語編)がよく売れたので、第2弾はなにをやってもいいよ、という感じで任せてくれたので、自分の一番作りたい参考書を作ったのがこれなんですね。

サブタイトルが「基礎単語でわかる! 熟語の時間」となっていますが、これは斎藤へのオマージュのつもりです。

 

この本は『熟語本位』をはじめ、多くの前置詞本を渉猟したうえで、必要・重要だと思ったものをピックアップし、グループ分けし、例文を作成し、マンガのキャラに解説させるという作り方をしています。

 

たとえば最初の前置詞は on ですが、これに3見開きが割かれ、100個近くの on を使った熟語を掲載、意味が11個に分けられています。

この本のポイントは、1)最初に前置詞のストーリーを短くまとめていること、2)それぞれの意味が前の意味からどう派生して来たと考えれば理解し覚えやすいか説明していること、の2点です。

 

たとえば、on の解説を引用すると、

 では基本となるイメージをまずは覚えましょう。「接触」です。何かに「乗っている」とか、「くっついている」という意味ですねぇ。
 さて、A on B と言ったとき、「AはBの上に乗っている」ということは、「AはBがなくなると落ちる」ということです。そこから、「基礎・基盤」「依存」の意味も出てきますよ。

こんなことが書いてあり、まず全体像を把握できるようになっています。

 

また、語義区分の11項目は、接触、身につける、基礎・基盤、依存・理由、影響・固定……などとなっていますが、それぞれに補足の解説が施されています。

たとえば「影響・固定」の項には、A on B で「AはBの上に乗っている」のだから、「AはBに影響を及ぼしている」と言える、とか書いています(物理で物体から矢印が下に向いているイメージ)concentrate on などはこれですね。

 

ついでに書いておくと、影響の on といえば、My father died on me.(父に死なれた)などに典型的に見られる on は覚えておくと、かならず得をします。

これは on 以下の人が困る嫌な目に遭う、といったニュアンスを持つ、俗に言う「不利益の on」ですね。会話でも普通に使います。

同書には tell on 人:チクる、が例文に載っています。

 

なんと言っても中高生むけの受験参考書ですので、理論面の解説は弱い本ですが、辞書以外の和書前置詞を勉強しようと思えば、まずこの本から入るのが最適でしょう。

 

 


次に、これは洋書なんですが、⑤Seth Lindstronberg, English Prepositions Explained もオススメです。

 

洋書ですが、さきに言っておきますと、英語はかなり平易です。研究書というより解説本という感じのとっつきやすさですね。

 

この本も網羅的で、易しく・詳しく、ほとんどの前置詞を解説しています。

 

例を挙げておきましょう。

たとえば out「外」ですが、家から外に出る人を思い浮かべてくださいこの人は、家の中の人にとっては「出て行く」存在ですけど、家の外の人にとっては「出て来る」存在ですよね。だから out は「消滅」「出現」の意味を併せ持つことができるのだ、などと説明しています。たいへん説得的です。

もうひとつ印象的だった例をだすと、turn up などの up になぜ「出現」の意味が宿るのかと言えば、「下にあったものが上に昇ってきて視界に入るからだ」と言っています。ホントかよ(笑)って感じですが、レベルが上がってくると、こうして様々な解説を見比べて楽しむこともできるようになります。

up といえばあと「完了」の意味が有名ですが(eat up:食べ終える)、他に「元気がいい」(cheer up)とかもありますね。let 人 down(がっかりさせる)などの「元気がない」down とセットで覚えるといいです。

 

あと Explained の面白いところは、マウスで書いたとしか思えない挿絵ですね。

 

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A woman in a strong wind with her hair streaming back. の解説の挿絵です。

背景は必要だったのかとか、そもそもこの絵で back の理解がどれくらい助けられるのかとか、足元の妙な影とか、ツッコミどころしかありません。マジ卍。

 

さて、ここまででなんとなく理解してもらえたと思うのですが、前置詞の意味は、

①物理的な位置関係

から

②抽象的な意味

に発展するのが大原則です。

(まぁこじつけに過ぎないことも多々あるんですが、とりあえず前置詞と仲良くなろうという段階では有効です。)

 

この原則から、さきの A on B での「AはBの上にある」「AはBに影響を及ぼす」「BはAを支える」「AはBに依存」「BはAの根拠」などを見ると、あらためて具体から抽象へ、というストーリーが見えてくると思います。

 

ほらほら、他のも知りたくなってきたっしょ?北海道弁

 

あなたはすでに前置詞スト化しています。There's no turning back.

 


3.辞書・辞典

 

辞書・辞典もいくつもあります。もちろん網羅系です。

が、わたしのお薦めしたい(=普通に探しても出逢いにくい)本は、どれも絶版みたいです……。

年をとるってこういうことですかね……。

 

ともあれ、まぁ古書とかでも手に入るので、紹介しときます。

ひとつは、研究社の ⑥ クリストファ・バーナード『英語句動詞文例辞典――前置詞・副詞別分類』です。

 

 

この本はかなり例が多い羅列系の辞典で、ネイティヴの専門家が作っているので、かなり口語的な用法がちゃんと載っており、また「これは汚い言葉なので使うな」「これは差別的なので絶対使うな」(卑語ってやつ)とか注意書きもあって、たいへんためになります。

これは前置詞ごとに切ってあるので、「今日は off を読もう」みたいな勉強ができる辞典ですね。

わたしが一番印象に残っているのがこの off で、「離れる」という基本の意味には「居眠りする」「集中力がなくなる」「うわの空」などの意識面での「離れる」もあるんだなぁ、といったことを学びました。これで日本語の休みを意味する「オフ」にスッと繋がります。

off といえばあと「細くなっていく」「すり減っていく」というニュアンスもありますね。

 

 

さてもう一冊は、マケーレブ夫妻の ⑦『動詞を使いこなすための英和活用辞典』です。Amazonの紹介欄のところにに例文が載っていて、これ良い例ですね。まずは見に行ってみてください ↓

 

 

これは動詞で切っている、というか熟語がアルファベット順で、 make out, make up, make use of,  みたいに並んでいるので、上述の本の趣旨とはちょっと異なります。

が、動詞と前置詞は熟語の縦糸と横糸みたいなものなので、ダブルで攻めると新たな発見があったりします

それから、この本の中央部分には赤いページがあって、そこでは前置詞の解説がなされていて、これが短いながら思いのほか有益です。

 

これはわたしが学部生の時に柴田元幸先生に教えてもらい、「これどうやって使うんですか」と質問したら、「アーそれはいい質問ですね……これ、書く時に「こういう言い方するよな?」と思って確認するのに引くっていう使い方するんだよね。書くための辞書ですね」と仰っていたように記憶します(口調を完璧に再現しています)

したがってライティングの手助けにもお薦めできるのですが、本エントリの趣旨的には、読むという使い方をしてしまっても良いと思います。基本動詞も深いですからね。

ちなみに ④『殺たんB』には前置詞だけでなく、基本動詞(makeとかgetとか)のページも設けられています。

 


また、前置詞研究者というと外せないのが、西友です(ていうかどの分野でも外せない)。誰もが知る『ジーニアス』を作ってる人ですね。大修館から ⑧ 『英語前置詞活用辞典』という辞典が出ています。

 

 

これはおそらく、もっとも硬派で律儀で真面目な前置詞の辞典で、前置詞の勉強でもすっかな?という軽いノリではちょっと読めません。

わたしは英文科に所属していて、2時間かけて2ページしか進まないような精読の授業をコンスタントに受講していたのですが、そこで、いつものランダムハウスリーダーズロングマン英英』を引いても出てこず(いつもこの順で引きます)、さらに上述の熟語系の本のどれを見ても出てこないとき、最後にこの本に載っていた!ということは何度もありました。

そういう、なんというか、長老みたいな存在です。お金とスペースに余裕があればリファレンス用に持っておくのはアリですね。

 

小西の前置詞本は、このコンサイス版⑨英語前置詞活用辞典 簡約版 というのもあって、こっちから入るのも良いかもしれません。

 

 

ちなみに小西は基本動詞の本(http://amzn.to/2FKDTrI)も出していて、これは新装復刊しましたね。とても読みやすい本です。


というわけで最後はもちろん、斎藤秀三郎『熟語本位英和中辞典』です。

これは上述したように、長いあいだ絶版で、わたしが10年前に神保町大雲堂書店でついに発見したときは伝説の剣を地面から引き抜いたような気持ちでしたが、ごく最近、刊行100年記念で復刊しました。めでたいです。 

さすがに安くない値段ですが、圧・倒・的に価値のある本です。THE 読む辞書。いますぐ買ってまず with から読みましょう。

 

じつはさらにこの先に、ラスボス倒したけどまだいたパターンで、斎藤の ⑪『前置詞講義』という巨大な本があるのですが……これは未読です。前置詞ストたるもの、いつか読みたいものですね。

 

 

 □ □ □ □ □ □ □

 

てなわけで、今回の連載(?)はおしまいです。

じつはいずれ、④ リスニング編冠詞編助動詞編 そして ⑦ ライティング上級編、というのを目論んでいるんですが、どれも準備ができていないというか勉強中なので、いずれまた書きます。1年後くらいですかね……。

 

どんどんマニアックになって読者は減っていくと思いますが笑、どうぞご贔屓に!

 

ありがとうございました〜

文法をショートサーキット化せよ! 日本人が英語を話せない本当の理由

 

0.はじめに 

 

前回のライティングに関するエントリ、「文体を作ろう! それなりに英語は読めるのに英作文が極端に苦手なあなたへ」が好評だったので、そこで告知したように、第二弾です。

 

今回はスピーキング対策について書きます。

 

前回と同様、どちらかと言うと抽象的なモデルの話になります。理論編です。つまりこれを読むだけでは、じっさいの英会話の知識は身に付きません。

 

が、理論は、実践の役に立たないわけではありません。

 

まず原則として、勉強というものは、目の前の具体的な知識をひとつひとつ覚えたり理解していく地味な作業を長期にわたって積み重ねなければ、成果が出ることはありえません(←偉そう)

 

どんなに賢くて英語ができる人も、当然英単語は1つ1つ地道に覚えてるってことです。

 

しかし、それと同時に、良質な勉強にはヴィジョンが必要です。いま言っているのは、たとえば「東大に入る」「TOEICで950点取る」といった目標ではなくて、自分が今やっている勉強にどういう意味や効果があるのかを、きちんと理解するということです。

 

いわば、この勉強には意味があるんだ、と自信を持って取り組めるための理論的な根拠ですね。

 

本エントリは、スピーキングの勉強において、その一助になればと思っています。


さてさて、スピーキング上達の極意は、

 

文法のショートサーキット化

 

にある、というのが今回の結論です。

 

ショートサーキットというのは、「短絡」と訳しますが、日本語ではバチっと「ショートする」という時に使っている意味ですね。

 

ちょっとわかりにくいんですが、ほかに良い言葉が思いつかなかったので、まぁこれで行きます。

 

以下ではスピーキングの勉強をアナログデジタルという表現で2つに分けて考えますが、その説明のあと、この考え方がライティングの勉強にも有益である、という話に進むことにします。

 

 

1.デジタルとアナログ

 

ではまず、What are you talking about?(何言ってんねん)という英語表現に到達する方法を、2つにわけて考えてみましょう。

 

第一に、「ワラユターケナバウ?」と音を模倣してしまう方法があります。

 

これは文法を考慮することなく音ごと覚えていくタイプの勉強です。もちろん文法を解析することも可能ですが、英語の知識がまったくない人でも、このまま言えば意志を疎通することができるわけです。巷の「旅行先でのとっさのひとこと」系の本は、この方法に特化したものですね。

 

これをアナログな発話と呼びましょう。

 

第二に、「What は疑問詞だから文頭に置き、現在進行形の疑問文だから are you、talk は自動詞で……」と、文法や語法のルールから演繹して導きだす方法があります。

 

これは音を記憶するタイプの勉強とはまったく異なり、そのつど、脳内で言いたいと思っていることを、文法の回路を経て、具体的な表現に変換しているわけです。

 

こっちをデジタルな発話と呼ぶことにします。


さて、おそらく、「英会話の勉強」といえば前者のアナログなほうをイメージしていた人が多いだろうと推察します。

 

本エントリは後者の話をするのですが、先に言っておくと、前者のアナログな勉強は、いつまで経っても必要です。

 

たとえば「ありがとうございます」ひとつとっても、このままでは丁寧に響きすぎるので、「あざーす」ぐらいのほうが相応しい場面もある。これはルールではなく傾向の問題です。

 

会話表現の勉強の醍醐味は、こうした傾向を知り、使ってみることにこそあるわけです。

 

本エントリの読者のなかにもTwitter「今日のタメ口英語」をフォローしている人は多いと思いますが(素晴らしい仕事だと思います、量がヤバい)「こういう場面では、その表現でも通じるけど、こっちのほうがハマる」みたいな勉強は、大切だし、なんか楽しいです。

 

そうした領域の知識は、デジタルな勉強では身に付きません。だから自分の英語表現をあざーすレベルに引き上げようと思うならば、アナログな勉強はずっと続きます(以上からあきらかですが、これはリスニングの勉強ともリンクしています)

 

それに対して、デジタルな勉強には、終わりがあります。およそのゴールがあるのです。

 

アナログデジタルの関係は、語彙文法の関係に似ています。語彙の勉強には終わりがなく、覚えれば覚えるほど豊かになってゆくのに対して、文法の勉強にはだいたいの「完成」があるからです。ルールってそういうもんですよね。

 

そしてこれは比喩であるばかりでなく、会話におけるデジタル領域とは、先にも「Whatは疑問詞だから……」などと述べたように、まさに文法の領域なのです。

 

ではわたしたちには、文法の知識が不足しているんでしょうか?

 


2.日本人が英語を話せない本当の理由

 

ここで、日本において提起され続けている次の疑問を考えてみましょう。

 

なぜ中1から何年も英語を勉強しているのに、日本人は英語が話せないのか?

 

この疑問に対する第一の答えは、日本の授業では会話をしないから、ということでしょう。そのとおりで、会話のトレーニングをすれば会話はうまくなるに決まってます

 

が、「だから授業に英会話の場面を導入しよう」という対策は不十分です。それは対処療法にすぎない。

 

問題をより正確に捉え、具体的な打開策を提示する必要があります。

 

わたしたちは、ちょっとくらい喋れるようになってもおかしくない勉強量を英語学習に割いてきました。だから勉強の方法に問題があるはずなんです。

 

いったい、わたしたちの勉強のどこがいけないんでしょうか。

 

それはズバリ、習った文法事項を、語彙を入れ変えて何度も使うトレーニング、この欠如にあります。

 

これは難しくありません。たとえば I have a pen. でいい。

 

この一文にはいくつかの文法規則が適用されていますが、ここでは、他動詞という文法事項を練習してみましょう。

 

他動詞という文法事項の規則は、①文頭に主語として名詞、②つぎにその動作を示す他動詞、③その動詞のうしろに直接(前置詞なしで)また名詞、というルールであるとここでは考えます。名・動・名。SVO。

 

このルールだけを意識して、語彙をどんどん変えて行けばいいのです。

 

I have a dream.
He plays the piano.
She likes dogs.
Kevin loves her.
The dog reads books.

 

ここでたとえば、

 

Dogs reads a books.

 

とか間違ってしまっても、ここではかまわない。名詞+動詞+名詞という他動詞のルールさえ守られていればOKです。

 

とにかく、身につけたい文法事項に、既知の語彙を代入して「使う」という意識が大事です。ゲームです。これ中1からできますよね。

 

こうした、ルールの運用に集中して文法を「使う」トレーニングを、わたしたちはまったくやっていません

 

たとえば上の他動詞の例がアホらしく思えたひとは、主語に関係代名詞のついた第二文型の疑問文を、即座に作れますか?たとえば、

道を歩いているあの人はあなたの先生ですか?

Is the man who is walking on the street your teacher?

こんなのです。

 

この例は一気に難しくなったように見えますが、見てのとおり日本語も英語もごく当たり前の内容です語彙も文法も中学レベル。関係詞+第二文型の疑問文なんて、使えないと日常でもちょっと不便です。

 

しかしこれを瞬時に言えた人は、たぶんこのエントリを読む必要などないでしょう。

 

が、「15秒あれば書ける」という人は多いと思います。そうなんです。わたしたちに足りないのは、語彙力でも文法力でもない。それを正しく並べて文に組み立てるスピードなんです。

 

そしてあなたがもし文法も語彙も知識的には十分なのに Is the man who . . . が瞬時に出てこない、それゆえスムーズな会話ができない(=喋れない)とすれば、問題は、ひとえに速度にあります。

 

 

なぜ日本人は英語が話せるようにならないか?

 

それは文法を使うのが遅いからです。

 

 

3.英文法ショートサーキット化計画

 

というわけで文法を高速化しましょう

 

これは全文法事項をマスターしていなくても、他動詞の例で見たように、そのつど習ったものを反復練習すればOKです。そのとき、習ってない範囲の文法事項を間違えてしまっても無視です既習の範囲は正すべきでしょうね)

 

以下、まずは英語力に自信のない人むけに教材を紹介し、それから勉強の得意な人むけに、自習方法を紹介します。

 

 

まず教材としては、

 

このめっちゃ売れてる本があります。紹介するのが悔しいくらい。いま英語の本で一番売れてるんじゃないか。たぶん多くの人が知っているでしょう。

 

これは文法項目ごとにページが分れていて、超平易な英文をバシバシ作っていくという本です。

 

じつはこの本には元ネタがあって、わたしが参考書マニアの自宅浪人生だった時代には、

 

 

 

これらの市橋敬三の同趣旨の本が知られていました。

どれも演習用にシリーズ化しています。『話すための英文法』はレベルが後半に進むに連れて焦点がアナログ寄りになっていきますね。市橋はクセがありますが、すげぇ勉強家です。

 

これらは買って試してみれば良いんですが、ただ使いかたによって著しく効果を減じることになるので、まえがきなどを注意深く読んで趣旨を理解して使わないといけません。

 

この本、売れていますが、たぶんこの「ちゃんと使いかたを理解する」というところで大部分の読者が躓いて、効果を引き出せていないのではないかと推察しています(本のせいではない)理論って大事なんですよ。

 

 


上述の本は勉強を初めてみるのに簡便で、最初に頼ってみるのはお薦めですが、けど結局これって、それなりに英語力がある人――というか、中3までの英文法はオッケーというレベルの人なら、自分でできちゃうんですよね。

 

この自分の頭で考える方式は、実際に人と喋るときの感覚に近いのが良いところです。

 

逆に言えば、上記の本は、左に和文、右に英文という配置になっていて、英文を隠しながら作文していくんですが、与えられた日本語を訳す作業にすぎない点に限界があると言えます。ちょっと受動的なんですね。

 

単語帳で見れば思い出せるのに、いざ試験で英文を読んでいるときに単語の意味が思い出せない、あの限界とよく似ています。

 

むろんそれでも基礎作業としてはたいへん有用ですので、繰り返しますが、ふつうにお薦めです。

 

以下の自習方法では、よりリアルな会話の場面における即時性に対応した、言いたいことをスルっと言えるようになるための、具体的な練習方法の例とモデルを紹介します。

 

では、ちょっと極端な例で試してみましょう。

 

たとえばあなたには、一般動詞の疑問文の文頭にくる Do+主語を、すべての人称と数でDoとDoesを間違わず、なにも考えることなくスムーズに発話できる自信がありますか?主語が一般名詞だとどうですか?主語の後ろに来るいろいろな動詞まで含めるとどうでしょう?

 

Do I (have to) . . .?
Do you (want me to). . .?
Does he . . .?
Did she . . . ?
Did they . . . ?
Do people . . . ?
Does your mother . . . ?
Do her dogs . . . ?

 

わたしはたとえばこんな練習をして、自分の口が Did they や Do her などに(Do you などにくらべて)あまり慣れてないということに気付いて衝撃を受けたりしました。代名詞しか使っていない中1の文法の冒頭2語ですよ。マジかよと。

 

こんな初歩的なレベルでわたしたちは躓いているんです。

 

このトレーニングは見てのとおり、まったく難解ではありません。ひとつの文法事項を選んで、誰でもできます。

 

ちなみに上記の例は、かなりミクロなトレーニングです。Did they がヘタだなと思ったら、Did they watch, Did they have, Did they play, などと無限に動詞を代入しまくってみる。この箇所だけ部分練習します。これはとくに文頭が大事です。

 

そして、これをたとえば上述した関係詞+疑問文のような文単位のデカめのトレーニングと組み合わせたりして、ずんずんやっていくわけです。ここでも which is より which are のほうが言いにくいとかミクロな発見があったりするでしょう。

 

構文レベル音レベル、ふたつの次元から攻めるわけです。

 

いずれにせよポイントは、「えーと」と考える時間を削っていくことです。スポーツみたいなもんですね。

 

そしてできれば、限界まで高速化して距離をゼロまで持っていく、というレベルまで練習することをお薦めします。

 

「こういうことが言いたい」と思った瞬間に口が動いてしまい、語彙以外の部分においては抵抗がほとんどゼロである、このような状態が理想なのです(あくまで理想です)

 

「Whatは疑問詞だから……」という文法知識の回路を経ないようにするわけですね。

 

わたしが「文法のショートサーキット化」と呼んでいるのはこのような意味です。

 

冒頭で「短絡」という訳を紹介しましたが、これは「繋がるべきでない2箇所が繋がっちゃう」という意味です。つまり、経るべき回路(=文法)をすっ飛ばして、脳と口をバチっと繋げちゃうわけです。

 

この超高速化を全ての文法領域において実現しなさい!というと引いてしまうかもしれませんが、このショートサーキット化された範囲を、簡単な文法事項から、徐々に増やしていけばいいのです。速度もちょっとずつでいい

 

そうすると、これはもう当たり前なのですが、そのつど徐々に、しかし確実に「喋れる」ようになってゆきます。

 

日本人って「英語喋れる/喋れない」という区別をするとき、それなりの実力があってもなかなか自分は「喋れる」側だと言えませんよね。まさにこの日本的な意味での区別において、英語が「喋れる」ようになってゆく。

 

よくバイリンガルの人やネイティヴの人が、「中学文法さえマスターすれば現地でも余裕でやっていける」と発言しますが、その「マスターする」というのはこういうことなんです。

 

前回のライティングの話では「脳から表現への回路を太くしていく」といった比喩を用いましたが、こんどは「脳から口への回路を短くしていく」わけです。

 

この回路の距離がゼロになったとき、アナログとデジタルの境界は、もはや消滅するでしょう。

 

それがショートサーキット化の完成です。あとは無限にアナログな表現を吸収してゆけばいい。

 

 

4.ライティングへの応用

 

あとは余談です。以上を英作文に適用すると、ちょっとおもしろい分析ができます。

 

以下、モデルとして便利なので、A4の紙に書かれた500wordsの英作文をイメージしながら書くことにします。


まず、どんな文章でも、決まった言い回しが一定量を占めているはずです。

 

日本語でも同じです。本文をちょっと遡って拾ってみると、「ここで重要なのは、」「それと同様に、」「〜について考えてみましょう」などがこれにあたります。前エントリで羅列したやつですね。

 

これらのフレーズは、文脈を大きくハズさなければ、いつでも、このままコピペで使うことが可能です。

 

つまりアナログに書かれた部分であり、原理的に、この言い回しをストックしてそのまま使うだけで、そのぶん文中の間違いは確実に減ります。

 

減点法で考えてみましょう。A4の500wordsのうち、これに該当する箇所をマーカーで潰した図を想像してください。マーカーの塗られた箇所は、確実に間違っていない部分です。

 

さらに言えば、表現をストックした結果として、学習者はそれを積極的に使うことが期待されるので、じっさいは、マーカー部分は思ったよりも増えます。100wordsくらい行くんじゃないかな。

 

たとえば It goes without saying that . . . とか、On the one hand / On the other hand とか、そういうのですね。

 

このように、アナログ要素には副詞的な働きのフレーズが多いので、わたしはこれを総称して「文の副詞的要素」と呼んでいます(ちょっとミスリーディングなんですが)

 

これらには、文中の誤りが減るだけでなく、文章が論理的になる、接続詞などが増えて読みやすくなるというオマケもついてきますね。

 


つぎに、デジタルな部分です。

 

いまA4の紙でマーカーが塗られていない全範囲がデジタル領域です。

 

ライティングにおいては、上述のようなスピーキング的なスピードは要求されません。が、しかし、やはりショートサーキット化を達成すると、思いつく英文が変わってきます基礎体力がつくみたいなもんですね。

 

まぁそれは当然で、ほとんどの英文をシュッと思いつく人間と、平易な文章もウームと考えながら書く人間とでは、やっぱ差があります。

 

ここで残りの400wordsの全領域を覆うことのできない新しい領域が見えてきます

 

それは、文法がわからない、という場面です。これはとても重要です。

 

これ、上述した内容と矛盾しますよね。なぜなら「ショートサーキット化の完成」は文法を無意識で「使える」レベルに磨き上げたものだからです。

 

ショートサーキット化を仕上げても、普通の日本人にはまずカバーできない文法領域があるのです。

 

その代表格はズバリ、冠詞 です。

 

ある高名な言語学者は、日本人に最後まで理解できないのは、時制冠詞前置詞だ、と述べています。

 

これらについて、前置詞はかなり語彙(アナログ)寄りの問題であるのに対し、冠詞時制ルールの問題であるように思います。個人的にはこれに助動詞も追加したい。

 

わたしは恥ずかしながら時制の難しさがピンとこないレベルで時制のことがよくわかっていないのですが、冠詞という文法領域の「深み」は書いていてつねに感じます。

 

これについては目下勉強中で、いまは解説できません。

 

ともあれ、大事なことは、「ここはどうしても正しいと確信できる文が書けない」という最後の領域が、いくつか見つかるということです。

 

そして、それはもう作文の残り数wordsです。

 

しかしこれは本エントリの扱える話題ではありませんので、またの機会に。

 

 


さて次回は、前回も書いたように、前置詞をネタに書こうと思っています。ビッグスリーの1人である前置詞さんです。

 

わたしは現在、冠詞助動詞を勉強中なんですが、前置詞は高校時代からずっと勉強してきた分野なんですね。じつは、すでに参考書も書いています(→http://amzn.to/2HNHru6

 

というわけで、次回は前置詞学習の意義と全体像、そしてさまざまな教材を紹介しながら、前置詞マスターになるための王道を提示できればと思います。

 

前置詞編、張り切って書きますので、お楽しみに。

 

 

来週も〜?(耳に手を当てる)

 

文体を作ろう! それなりに英語は読めるのに英作文が極端に苦手なあなたへ

0.はじめに

 

このエントリは、なんとなくですが、

①大学受験の延長で勉強を続けた結果それなりの英語力はあるのに、
②読解力にくらべて作文力が極端に劣ると感じていて、
③もう少し英作文ができるようになりたい

といったあたりの、わりあい限られた読者にむけて書かれています。

 

限られているとはいえ、こういった症状と願望を持つ日本人は、かなり多いはずです。

わたしも完全にこのパターンだったのですが、留学準備の試験対策として、短期集中で勉強した結果、この状態から脱する方法が見えたように感じています。

 

いそいで注記しておけば、これは、わたしの現在の英作文力がものすごく高いという自負から書いているわけでは、まったくありません。

上記のような悩みを抱えている人が、まず最初に起こすべきブレイクスルーを、どうしたら起こせるのか。わたしが提案できると思うのは、その方法だけです。

 

その方法は、ひとことで言えば、

「文体を作る」

ということに尽きます。

以下、詳しく説明してゆきます。

 


1.なぜ英作文力がのびないか

 

大学受験の延長で英語を勉強している日本人学習者は、ほぼ例外なくリーディング能力がいちばん高いと思います。

わたしは日本の大学でアメリカ文学を専門にしている時期が7年ほどありましたが、その間、かなりの難度の英語を、かなりの量読み、卒論ならびに修論も英語で執筆したにもかかわらず、それらによって英作文力は、はっきり言って、まったく向上しませんでした。

 

世の中には読むだけで英作文もできるようになる人が一定数います。同じことをやっても、できるようになる人とならない人の差が生じる以上、これはセンスの有無だとしか言いようがありません。

なのですが、ところで、この「センス」の有無って、具体的には何を指しているんでしょうか。

わたしはこれは、

「英語ってこういう言い方する/しないよね」という基準

これを持っているか否かだと思うのです。

まさに感覚(センス)の有無です。

 

読んでもまったく英作文力が身につかない人には、英文法の正誤のほかには、自分の中に、こういった英語的な基準が、まったく無いはずです。

いわば無手勝流で、文法の知識と語彙力と辞書だけを頼りに書いている。

 

この状況を打破するのが、冒頭で述べた「文体」の獲得です。

では「文体」とは何か。

 

これは、たとえば「川端康成の文体」みたいな言い回しから連想されるような、見た瞬間に誰の文章だかわかる、独特のスタイルの獲得を目指そうというのではありません。

わたしの言いたい「文体」とは、たんに「こういうことを言いたいときは、こういう語彙と構文を使って、こんな感じで表現する」という、アウトプット時の表現のストックのことです。

言い換えれば、

脳内のアイディアから具体的な文章への変換の回路

これの構築を「文体を作る」と呼んでいます。

(ちなみに「川端康成の文体」とか言うときも、じつは同じことを意味しているのだと思います。)

 

英作文力が伸びない学習者は、この回路がほぼゼロなのだ、というのがわたしの持論であり、かつての自分をかえりみての実感です。

無手勝流から脱するには、まずこの回路を、文体を作ること、これを目指すべきなのです。

 

ただし注意したいのは、その文体は、とりあえず、ごくごく貧しいものでよい、ということです。

あとで述べるように、いちど貧しい文体を手に入れてしまえば、その細い回路に肉付けするようにして、文体を豊かにしてゆくことは、比較的容易です(以下の「3.文体を豊かにする」セクションで少し解説しています)

 

ところで、わたしが身をもって体験したように、この貧しい文体さえ、センスのない人は、いくら読んでも、いくら無手勝流で書いても、なかなか手に入らないのでした。 

では具体的にどうすればいいのか。

そういう人は、意識的に文体を作る作業が必要です。

 


2.文体を作る

 

結論から言えば、文体を作るには、あらためて一定量英文を暗唱する必要があります。

ではどんな英文を、どのくらい暗記すればいいのか?

ズバリ、旺文社の『表現のための実践ロイヤル英文法』の付録、「英作文のための暗記用例文300」を、まず覚えてみることをお薦めします。

これが優れている理由はいろいろあるのですが、とりあえず例を見てみましょう。

 

たとえば、

7番、
その小屋で眠るのは難しかった。
I found it difficult to sleep in the hut.
→ このfindの使い方に慣れること。「眠ろうとしたけれども、なかなか寝つけなかった」をfindで表すことを知っておくと便利。

88番、
私は職場に近くなるように新しいアパートに引っ越した。
I moved to a new apartment so as to be near my work.
→ 「(その結果)〜するように」は so as to がふさわしい。

こういった項目が300あります。

これらの何が良いかというと、find や so as to といった語彙や文法に属する知識を、作文時にどう応用するか、という観点から書かれている点なんです。

英語を読んでいるときに、上のような find や so as to の意味が取れない人は多くないでしょう。

けれども、文体を持っていない人は、たとえばこういった知識が、作文時に活かされていないのです。

この例文300には、

手持ちの知識を作文に動員するにはどうすればいいか

そのヒントが詰まっています。その効率がかなり高い例文が300集められているんです。

 

ただし、300覚えれば一気に変わる、と言いたいのではありません。これが最初の出発点としてはおおいに信頼できる、と言っているだけです。なんといっても300は量的には少ないです。

とはいえ、この300から得られるのは、300の知識だけでなく、「既知の知識を作文に応用する」という発想そのものの原型でもあります。

これこそ回路の発生であり、文体の生成です。

 

この300を経ると、多かれ少なかれ、書いていて「あってるっぽい」「間違ってるっぽい」という判断が、それなりに自分のなかに出てきます(貧しい文体の獲得)。

ここで大事なのは、この基準が発生すると、間違ってると思う文章を避けるようになる、ということです。

自分で使える言いまわし、つまり文体の範囲内でしか文章を書かなくなるわけですね。

すると、当然ながら、文体の範囲外のことは調べますし、文体を拡充したいという願望が発生します

 

だから、この300で勢いがついたら、すぐほかの教材に進んでみるべきです

おそらくそのとき、300学習以前のような感覚で英文を眺めることはなくなっているはずです。

自分にとって有益か否か、つまり、例文が、自分の文体を豊かにするか、回路を太くするか、そういった判断力が生まれてくるわけです。目が肥えるというか。

 

この動きがいったん始まってしまえば、文体を豊かにする作業はかなりスムーズに進みます。

とにかく大変なのは最初です。動摩擦力より静止摩擦力のほうが大きいのと同じです。

 

まずは貧しい文体を作ること。

そしてそれを作るには「暗記用例文300」が有効。

これが本エントリの主張です。

 

 
左:書籍版 右:Kindle

 

以下のツイートに、例文300の序文の写真が貼ってあるのでぜひご覧ください。良いことが書いてあります。

 

 

3.文体を豊かにする

 

いちど貧しい文体を手に入れてしまえば、あとから肉付けするのは意外に簡単。このことは、すくなくともモデルとしては理解してもらえたと思います。

なので、あとは用途によって、それぞれの方法を模索していただければと思います。

以下では、わたしが実践した方法をいくつか列挙しておきます。

(ちなみにわたしは文学部の博士課程に在籍する者で、最終目的は英語論文の執筆です。)

 

1)300の延長

わたしは300が最初の暗記教材ではなくて、この前にも後にも、色々と他の教材を試していました。

そのとき使ったのは、おもに大学受験参考書で、「英作文」ではなく「構文」という名前のついたジャンルのものが多かったです。

これもまた目的によって使い分けるべきだと思いますが、上述したように、300で勢いがついたら、もう10000くらい覚えるつもりで、行けるところまで行くべきです。

また別の機会にあらためて数百の例文を覚えようとするのは腰が重いからです。

じつはこのときわたしはTOEFL対策として同時にスピーキングのトレーニングもしていて、それもまたライティング力の増強にかなり役立ったのですが、それは別エントリでそのうち紹介できたらと思います。


2)ふだんの読書で使いたいフレーズをストックする

文体の習得の前後で、英文の見え方というのはかなり変わります

文体とは「英語ってこういう言い方するよね/しないよね」という感覚の有無だったわけですから、文体を手に入れると、読んでいて、「へえ、こんな言い方するんだ」という感覚が生まれるからです。

つまり、自分の文体に含まれていない表現が目につくようになるわけですね。日本語でもよくあることです。

わたしはそのような表現をPCのノートに書き写し、私家版のコーパスを作っています。

暗唱してしまうこともあれば、作文時に検索して使うこともあります。

ちょっと羅列してみましょう(ちょっとカタいのばっかりですが)――

 

i) 転換
How are we to understand A? (ではAをどう理解したらいいのか?)
I return now, to the question of . . . (では~という問題に戻ろう)
I must hasten to add that . . .(いそいで付け加えておかねばならないが、)
It might be useful at the outset to say a word about . . .(はじめに~についてひとこと言っておくのは有益であろう)
What interests us for the moment is . . .(さしあたりわれわれの興味を引くのは、)

ii) 批判
We today are more likely to suspect that . . . (われわれはこんにち以下のように考えてしまいがちだ)
It is too simplistic to claim that . . . (~という主張は単純にすぎる)
No wonder most critics dismissed this as . . . (多くの批評家がこれを~と評したのも無理はない)
This conception is open to criticism at several points. It assumes that . . .(この概念はいくつかの点において批判が可能である。まずこれは~ということを想定しており、)
Nothing is explained by saying that . . . (~と言ったところで何も説明されたことにはならない)

iii) 主張
This has to be borne in mind . . . (~ということを肝に銘じねばならない)
One can sum up this point by saying that . . . (この点は次のように要約できる)
A distinction needs to be made between A and B(AとBは区別されねばならない)
The capital fact suffices to show A(この重大な事実をもってAを示すに十分である)

 

こういうのです。転換とか批判とかいった項目分けは、ご覧のとおりテキトーで、現在模索中です。

わたしの目標は文学研究のアカデミックな文章を書くことなので、こういうタイプの文体と収集の方法になっていますが、これもやはり、目的によっていろいろ異なるでしょう。

ビジネスでメールすることが多い人だったらメール用のテンプレをこうしてストックしていけばいいわけです。

 

3)英文法の総復習

英文法もまた、文体の習得の前後で、まったく見え方が変わってきます。

たとえばさっきの so as to は不定詞という項目に属するわけですが、これも「so as to は〜するようにと訳す」と覚えるのではなく、「〜するように、って言いたい時は so as to が使えるのか」という発想に変化します。

わたしが蒙を啓かれた項目で、とくに印象に残っているのは、分詞構文の使い方でした。

分詞構文の作りかたは当然マスターしていましたが、自分で作文していて「ここは分詞構文でしょ!」と思うタイミングは、かつては皆無でした(Judging from なんちゃら、といった独立分詞構文は使えましたが)。

こういうのがいちど発見されると、しばらくやたらと分詞構文を使う時期がつづきます。笑

ともあれ、文体習得後に英文法を総復習すると、自分が作文時にどの文法事項を使って「いない」のか、はっきりとわかります

ちなみに、この総復習の作業にも、すでに挙げた『実践ロイヤル英文法』がオススメです。この本ホントにすごいんですよ。

 


以上、ざっとこんなところです。(旺文社さんお金ください)

 

今後、

1)ライティング+スピーキング同時対策としてのショートサーキット化
2)前置詞学習について

の2本を予定しています。こちらもご贔屓に。

 

来週も〜?恋にドロップドロップ〜♡

中二病の英訳について[第二版]

 

中二病」をいかに英訳すべきか?

 

この問題を、わたしは折に触れて考えてきました。もちろん、その答えはひとつではありえません。本エントリは、これにひとつの解答例を提案することを目指します。

 

◆ 中2

 

「〜年」といえば、まずは xxth-grade といった英語が思い出されるでしょう。

 

アメリカでは小中高の12年間を通してカウントするので(いわゆるK12)、中学の2年は eighth-grade になります。だから、たとえば中二病eighth-grade syndrome といった言い回しで表現することが、まずは可能です。

 

ただ、「厨二」という、いかにもネットスラングっぽい表現に充てる英訳として、eighth-grade はさすがに冗長です。

 

仮に 8th と表記するにせよ、「中二病」の含意としては何より「二年目」の自意識がポイントであるはずですから、「8」では何のことだかわかりません。

 

そんなわけで、この線でいけば、8th と言うよりは 2nd-grade syndrome のほうがベターでしょう。ためしに「中二病 英語」でググってみると、Middle-school 2nd year syndromeとか、やはり似たようなものが見つかります。

 

しかし、これもやはり、うまくないように思えます。

 

これではなんだか長ったらしくて、和訳すれば「中学の二年生の症候群」と言っているように感じられます。これは中二病」の簡潔さには程遠いのです。

 

もっと短い言い回しで、かつ、英語圏の人間であれ全人類が共有している筈の、あの14歳前後の痛々しい記憶を、いくらかでも指し示すことが出来るような、しかも説明臭くない表現へと、この「中二病」という便利な言葉を移植できないものでしょうか。

 

 

◆ sophomore

 

ところで、アメリカでは大学の1年生を freshmanと呼ぶ習いであることは、知ってる人には有名な話でしょう。これは4年生まで名前がついており、それぞれ

 

1. freshman

2. sophomore

3. junior

4. senior

 

となっています。わかりにくいよね。

 

そして、「2年生」を指す sophomore は、freshmanなどよりも遥かに奥行きのある単語なんです。ちなみに「ソフォモア」と発音します。

 

というのも、この単語、大学の学年に限らず、「ある経験において2年目の」という、もっと広い意味で用いることができるんです。

 

そこで sophomore のニュアンスに肉薄すべく、sophomore の形容詞形、sophomoric を、英英辞典 Webster 3 で引いてみましょうーー

 

sophomoric 2 a) exhibiting a firm and often aggressive conviction of knowledge and wisdom and unaware of limitation and lack of maturity

 

これ見たときは爆笑でした。噛み砕いて訳してみると、

 

「自分には知識や分別があるのだということを頑として(ひどい例だと攻撃的になって)示そうとするが、はたから見れば自らの未熟さや限界に気付けていないさま」

 

これだwww

 

もうひとつ、手元にあった英和辞典で最も sophomoric の語義が詳しかった『ランダムハウス英和大辞典』を引いてみると、

 

sophomoric 2 《米》(特に知的な気取り・うぬぼれ・自信過剰などで)2年生っぽい;青くさい、うぬぼれているが未熟な、知ったかぶりの、生意気な、こましゃくれた

 

とのこと。おk。なんかつらい。

 

どうやら、この単語が「2年目」の「イタさ」を言おうとしていることは間違いがなさそうです。

 

というわけで sophomore、採用。

 

◆ 病?

 

ではつぎに、「病」はどうしたらよいでしょうか。

 

冒頭で提示した英訳では、とりあえず syndrome としていました。この語をふつうに訳せば「症候(群)」であり、sophomore syndrome という表記は、まったく悪くありません。エスの音で頭韻していますし、たしかに中二病」は「病気」じゃありません

 

しかし。

 

syndrome は病気未満の「症候」を指しますが、これだと、どちらかと言えば「中二症」です。

 

そもそも、病気ではないある特性(イタさ)を、比喩的に中二「病」と呼んでいるわけですから、英語も「症候」ではなく、あえて間違えて、「病」にあたる単語を採用することで、むしろ対称的なズレを持たせることができる、と考えてもよいはずです。

 

そこで、「病気」を類語辞典で引き、そこから馴染みのある単語を列挙してみるとーー

 

illness, sickness, disease, malady . . .

 

などが見つかります。が、そもそも「ナントカ病」の英訳はほとんどの場合 disease で表現されるんです。(壊血病:scurvy のような特別な名前がついた病気でない限り。)

 

ためしに辞書を引いてみると、ハンセン病(Hansen's disease)、精神病(mental disease[これは illness もよく見ます])、難病(intractable disease)などなど、多くのパターンにおいて、やはり disease が当てられています。

 

というわけで、sophomore disease を、採用すべきである……

 

 

そんなふうに考えていた時期が、俺にもありました(3年前)

 

 

以下に修正案を示そうと思います。

本エントリが[第二版]となっているのは、以下の修正部分についてです。

 

そもそも、中二病」はつねに名詞で(というか名詞的に)用いられるわけではありませんむしろ形容詞が多いはずなんです。

 

いま却下した illness と sickness は、どちらも ill と sick という形容詞に -ness という接尾辞を付した名詞化表現ですが、この、元の形容詞を使って、たとえば「あいつは中二病だ」というときに、He's sophomore disease. ではなく He's sophomore sick. といったふうに言えれば、だいぶ簡潔に表現することができます。

 

チュー・ニ・ビョーの3音節の感じにも、sophomore sick は、より近いです。

 

しかし、 sick はあくまで形容詞なので、中二病:sophomore sick というふうに逐語的に対応させることはできないのが難点といえば難点です。中二病は名詞ですから。

 

名詞表現のときにだけ sophomore sickness と言う、という選択肢も考えられますが、これと sophomore disease のどちらがベターかというと、ちょっと迷うところです。

 

が、disease がまずいのは、これが形容詞用法を制限してしまうためなんです。

 

どういうことかというと、形容詞には①名詞の前にくっつく限定用法と(a sick man)②be動詞の補語になる叙述用法(The man is sick)があるのですが、disease の場合、補語にはなれても、限定用法で使うことができないのです。

 

つまり、He's sophomore disease. とは言えても、a sophomore disease man とは言えないわけですね。形容詞にできない。

 

これは考えてみればマジで不便です。

 

中二病という日本語は、日常会話においては「あいつ完全に中二病だろw」といった(英語ではbe動詞を用いた文型での)用法と、「俺の中二病の兄が……」といった用法が多いので(形容詞の限定用法)形容詞用法の言いやすさを優先したほうが良いのではなかろうか、と思うわけです。

 

名詞化されるときは中二病の良いところは、」といった感じで用いられるように思うので、このときだけ sophomore sickness と言えばいいし、なんなら sophomore sick を名詞化してしまうという蛮勇も許されるかもしれません――が、そこまではわかんないので、あとは英語圏中二病患者に委ねます。

 

◆ 結論

 

てなわけで、「中二病」にあたる新英訳語を、本稿の第一版は

sophomore disease

だと結論していたのですが、今回の改稿にあたって、

sophomore sick(ness)

がベターであるという、いささか歯切れの悪い結論に修正したいと思います。

 

なお、英語では sophomoric としなくても、名詞+名詞で前者の名詞が形容詞的に働くので(book store みたいな)、sophomore のまま用いることができます。

 

ところで、sophomore を採用したメリットはまだあって、sophomore は soph と略されるんです(辞書にも載っています)。したがって、

soph-sick(ness)

と短縮することができるわけです。

 

この点に関しては、形容詞表現を考えると、soph-disease より soph-sick のほうが圧倒的によいということがわかると思います。

 

He's soph-sick.He's soph-disease. あるいは a soph-sick mana soph-disease man では、どちらも前者のほうが二段階くらいマシです。

 

またさらに言えば、「〜奴」、「〜野郎」といったニュアンスで、

sophie

とすることもできます。

 

(これは、冷戦期にアメリカ人が共産主義者(Communist)を指して、軽蔑的に commie (アカ)と呼んだことが思い出されたり、またさらに差別的なものとしては……)

 

まぁとにかく、日本語でも「病」が落ちて「あいつ中二だから」といった表現がなされますが、これとパラレルなかたちで、sick を落として sophie と言えるのは嬉しいですし、すでに触れた sophomoric ではなく、

sophic

という形容詞に中二というニュアンスを与えることもできそうです(いちおう sophic という英単語はそもそも存在しています)

 

他にもいろいろなバリエーションがありえると思いますが、このへんで。

 

 

◆ 追伸

 

ちなみにこの訳語を決定する必要に迫られた理由というのは、週刊少年ジャンプの漫画暗殺教室のスピンオフ企画である英語参考書『殺たん』に、「中二病」の訳語を記載することになったためでした。

 

本書には「中二病」の他にも、いろいろな造語を仕込んであります。

 

というわけで、以下の拙著も、どうぞご贔屓に。

 

トマス・ピンチョン『ブリーディング・エッヂ』冒頭試訳

 二〇〇一年春の最初の日のこと、マクシーン・ターナウ(一部のシステムは未だに彼女の名をレフラーとしているが)は息子たちを学校へ送っている。まあ確かにもう付き添いが要るような年齢じゃないけど、親のほうがまだやめたくないっていうか、たった二、三ブロックだし、職場もこっちだし、楽しいし、ね?

 アッパー・ウェストサイド沿いにずっと植わったマメナシらしき木々は、一夜にして白い花をぱっと咲かせていた。マクシーンが見ていると、陽光が屋根の稜線と給水タンクを越えて四つ角まで届き、さらに一本の木に差し込むとその木が突如として光に満ち溢れる。

 「マム?」ズィギーがいつもの急いだ調子。「ねえ」

 「あんたたち、見てみ、あの木」

 オーティスはよく見てから、「ヤバいね、ママ」

 「悪くない」とズィグも同意。子供たちは先に進み、マクシーンはもう三〇秒くらい見つめてから追いつく。角に来ると彼女は反射的にすうっと子供と車道の間に入って、角を曲がるとき人に衝突するのを娯しみとするドライバーをマークする。

 東向きのアパートメントの窓に反射した陽光が、向かいのビルの正面に、ぼやけた模様を描き出し始めている。このルートでは新しい二連結バスが巨大な昆虫のごとく東西に這う。あちこちでシャッターが上げられ、朝のトラックは二重駐車し、ホースで自分のところの歩道を綺麗にしている人たちがいる。戸口のところで寝ている路上生活者、ビールやソーダの空き缶でいっぱいになった巨大なビニール袋をぶら下げ、それを換金しにマーケットへ向かう漁り屋、ビルの前で監督者が来るのを待っている作業員たち。信号が変わるのを待ちながら歩道のところで上下に跳ねているランナー。カフェでベーグル欠乏に対処する警官たち。車だったり歩きだったりの子供やら親やら乳母やらが、近所の学校を目指してめいめいの方向へ進んで行く。子供たちの半数は新品のレーザー・スクーターに乗ってるみたいだから、注意事項リストに〈滑走するアルミニウムによる不意打ち〉を追加。◆

 


    It’s the first day of spring 2001, and Maxine Tarnow, though some still have her in their system as Loeffler, is walking her boys to school. Yes maybe they’re past the age where they need an escort, maybe Maxine doesn’t want to let go just yet, it’s only a couple blocks, it’s on her way to work, she enjoys it, so?

This morning, all up and down the streets, what looks like every Callery Pear tree on the Upper West Side has popped overnight into clusters of white pear blossoms. As Maxine watches, sunlight finds its way past rooflines and water tanks to the end of the block and into one particular tree, which all at once is filled with light.

“Mom?” Ziggy in the usual hurry. “Yo.”

“Guys, check it out, that tree?”

Otis takes a minute to look. “Awesome, Mom.”

“Doesn’t suck,” Zig agrees. The boys keep going, Maxine regards the tree half a minute more before catching up. At the corner, by reflex, she drifts into a pick so as to stay between them and any driver whose idea of sport is to come around the corner and run you over.

Sunlight reflected from east-facing apartment windows has begun to show up in blurry patterns on the fronts of buildings across the street. Two-part buses, new on the routes, creep the crosstown blocks like giant insects. Steel shutters are being rolled up, early trucks are double-parking, guys are out with hoses cleaning off their piece of sidewalk. Unsheltered people sleep in doorways, scavengers with huge plastic sacks full of empty beer and soda cans head for the markets to cash them in, work crews wait in front of buildings for the super to show up. Runners are bouncing up and down at the curb waiting for lights to change. Cops are in coffee shops dealing with bagel deficiencies. Kids, parents, and nannies wheeled and afoot are heading in all different directions for schools in the neighborhood. Half the kids seem to be on new Razor scooters, so to the list of things to keep alert for add ambush by rolling aluminum.