Write off the grid.

阿部幸大のブログ

パラグラフ写経のすすめ 文体を入れ替える

このエントリは、すでに英語でそれなりの量の文章を書いてきたものの、現状の作文力に不満を抱いており、どうにか改善したいと感じている──おもにそのような書き手にむけて書かれている。

 

わたし自身は人文系の大学院生なのだが、人文学は文章を読んでもらうことで読者を説得していく分野なので、その評価において文章力が大きな比重を占める。したがって外国語で書く場合、語学力がダイレクトに評価に影響してくる、ということだ。以下の文章は、そういった分野の執筆にたずさわる書き手にとりわけ役立つ内容になると思う。英語論文を例にして話をすすめるが、英語以外・論文以外の書き物にも応用可能である。

 

また以前に、初心者から初級者へ、そしておそらく中級レベルの後半くらいまで進むための方法論を紹介するエントリ「文体を作ろう!」を書いているので、そちらも参考にしていただきたい。今回はその続編、上級編である。

 

ところで上記のエントリの最後でわたしは、英語のフレーズを採集して暗記せよ、と書いた。今回の内容もそれと地続きである。その方法は単純で、ネイティヴの英語を読みながら、良いと思ったフレーズを書き写して暗記する、というものだ。

 

わたしはこれで3000用例くらい集めて暗記して成長の手応えを感じられたのだが、同時に大きな不満と不安が残った。そのうえ、どうもそれは、もはや数の問題ではないように思われた。語彙レベル・表現レベルでは大きく成長したものの、構造レベル・文体レベルで自分の文章は過去のままであるように思われたのだ。ほんとうにそのような区分が可能なのかどうか不明だが、まぁともかく、そんな不満があった。

 

そのような不満を抱えながら、ここ数年、ずっと気になっていた勉強法がある。写経である。英文をとにかく書き写すというものだ。

 

わたしは過去これに何度か挑戦してみた経験があるのだが、長続きしなかった。もちろん写経はすぐに効果が現れるタイプの勉強法でないことは明白だが、しかしそれでも、写経の作業をやっている最中、それが自分の目指す英作文力の向上というゴールに繋がっている感覚がまったく得られなかったのだった。

 

余談だが勉強においては、継続や忍耐と同じくらい、「これ効いてねぇな」という空回りへの感度と見切る決断力も重要であると思う。ともあれ、わたしは自分には写経は使いこなせないと判断した。

 

しかしここにはやはり、なにかしらのヒントがあるように思われた。写経という勉強法はコンセプトとしては、他人の文章をそのままトレースすることで、語彙や表現というよりも文体のリズムのようなものを体感・体得するということに主眼があるのだと思われる。それはわたしの目的に近かった。しかし写経という行為のうちにその感覚が得られず、しばらく方法論を模索していたのであった。

 

そこで辿り着いたのが、1パラグラフだけ写経する、という勉強方法である。以下で提案したいのはこの方法論、名付けてパラグラフ写経だ。

 

では順を追って説明してゆこう。

 

これを行うには、まず信頼できるネイティヴの書き手を見つける必要がある。その書き手は、8000から10000words規模の論文を、あなたの狙うゾーンの媒体に、すくなくとも3本以上書いている書き手が望ましい。単著でもOKなのだが、飽きてしまうかもしれないので、できればネタが異なる複数の論文のほうが良いと思う。

 

また、以下の内容を読んでいくうちにわかるはずだが、この方法は内容の深い精読も同時に行うことができるので、もし英語表現だけでなく内容的にもエミュレートしたいと思える文章を書いている書き手に出会えたら最高である。その意味でも単発の論文でやったほうが、それを複数繰り返すことで1万語の論文のストラクチャなどを俯瞰できる視力が身につくので、オススメである。

 

それから、ちょっと余計なお世話だが、英語も研究の方法も刻々と変化しているうえ、そもそも英語圏ではここ20年の研究に接続できないと論文の出版は不可能なので、とくに海外で活躍したいと考えている若手には、できれば2010年以降に出版された若くて活きの良い最先端の文章をディグることを推奨したい。あなたは自分の分野でいま目立っている30代の研究者を何人挙げることができるだろうか?

 

具体的な作業に移ろう。文章を集めたら、読む論文の全パラグラフに冒頭から番号をふる(わたしの分野では30パラグラフ前後が相場である)。つづいて、ひとつのパラグラフをそのままPCに書き写す。つまり写経である。そのとき、センテンスごとに1行あけながら、パラグラフを文にバラすようにして写してゆく。ちなみにわたしは音読しながら書き写している。

 

パラグラフを書き写したら、もういちど最初から読み直す。そのとき、1文1文を吟味しながら、「理解できるか」ではなく、「こういう内容のことが言いたいときに自分のアタマからこの英語表現が出てくるか」という視点で読む。読めるかどうかではなく、書けるかどうかで読んでいくのだ。

 

具体的には、この単語や表現を知っているか、ではなく、この名詞にこの形容詞を組み合せて使えるか、この名詞とこの名詞のこういう関係を記述したいときにこの動詞を即座に使えるか、この副詞・接続詞を文頭ではなくこの箇所での挿入で使えるか、ここの分詞表現は自分なら関係詞節にしてしまうのではないか、自分ではここで文を終わらせて2文に分けてしまうのではないか、などといった視点で読む。そして、気になったものすべてをハイライトする

 

読み方について理解してもらうために、抽象的な例を考えてみたい。あなたが手にペンを持っているとしよう。それを表現するとき、あなたの脳裏に浮かぶ英文は I have a pen である。だが、目の前の文章には A pen is in my hand という文でそれが表現されている。むろんあなたはそれを理解できるし、作文できないわけでもないが、しかし、あなたの脳内にある英語の回路では「手にペンを持っている」というアイディアを英文化するとき A pen is in my hand に自力では到達できないかもしれない──このような視点で読むといい。この省察過程にこそ、文体レベルでの介入の契機は潜んでいる。

 

さて、こうするとたぶん、かなりの割合がハイライトされることだろう。ときには1文まるごとという場合もあるかもしれない。それでよい。逆にマークされなかった箇所は、あなたがそのことを言いたいときに頭からすんなり出てくる範囲内の表現だということになる。

 

これをぜんぶ覚えるのだ。

 

マジかよと感じるかもしれない。だから1日1段落なのである。ここではパラグラフは300words程度だと想定しているが(これが人文学の平均値である)、分量は適当に調整してもらえればいい。ちなみにこの分量だと、書き写してとりあえず覚えるという作業で、だいたい30分かからないくらいである。案外やってみると大したことはないものだ。

 

これを続けているうちに、はじめは3語・5語ハイライトとかだったのが、20パラくらいまでくるとセンテンスまるごと暗記がデフォという感じにエスカレートしてくると思う。やはりそれでよい。ケチらずに長いセンテンスを毎日ガンガン覚えまくろう。

 

この勉強には、さらにいくつかの段階がある。

 

2周目でハイライトしたら、3周目でハイライト内のとくに覚えたい表現をさらに差別化する(わたしは太字にしている)。それでどうするかというと、ハイライトされているがボールドではない、という箇所から、itとかtheとかではなく、他のセンテンスに含まれている可能性が低い単語を選んで書き出すのだ。

 

どういうことかというと、いまテキトーに目の前にある本の最初のセンテンスで例を作ってみると、

 

This book presents a series of studies in the aesthetics of negative emotions, examining their politically ambiguous work in a range of cultural artifacts produced in what T. W. Adorno calls the fully “administered world” of late modernity.

 

これをまるごとハイライトしていると仮定しよう(こんな文はハイライトするしかねえ)。そして以上の2箇所を太字にしたとする。そうしたら太字でない箇所から目立つ単語を一つ選ぶわけだ。この場合はとりあえず T. W. Adorno という固有名詞にしておく。

 

それをどうするか。その単語をクイズの「問い」にするのである。

 

これは Sianne Ngai の Ugly Feelings という本から採られている。問題作成者であるあなたはそのことを把握している。そして Adorno という単語を見れば、上に引用した文をハイライトしたな、ということは、あなたにはわかる。それで Adorno 一語だけを頼りに全文を思い出す、という順序で「問題を解く」、というわけだ。

 

これをパラグラフでやると、

 

Para 1

 Adorno

 単語2

 単語3

 単語4

Para 2

 単語1

 単語2

 

こんな感じの問題集ができあがる。これで日々復習するのだ。問題形式にしたほうが暗記は捗る、というのは暗記界の常識である。もちろん「問題」は単語でなくても、各自で工夫してやってもらえればよい。

 

これはどのようなツールを使ってもいいのだが、わたしは Workflowy というアプリを使っている。これの良いところは、パラグラフと単語(問い)で上記のように階層化できるだけでなく、答えのセンテンスを全文コピペしたうえで隠しておいてわからなかったら開く、という操作がめっちゃやりやすいところである。赤シート的な感じで。Workflowy の使用法としては無粋だと思うが、あまりにも相性がいいのでオススメしておきたい。

 

量について。ちょっと単純計算してみれば、だいたい論文は30パラグラフなので1ヶ月で論文が1本読めて、たぶん200用例くらい採集することになり、これを1年つづけると10本10万wordsを写経することになり、フレーズの量としては2000という計算になる。

 

4桁にびびってしまうかもしれないが、しかしちょっと考えればわかるように、あなたの英語力はもう100フレーズ覚えたくらいでは変えられない。語学において100という数字で成長が期待できるのは初心者だけである。もしかすると1000よりも前にブレイクスルーが起こるかもしれないが、とはいえ300や400ではやはり足りないので、半年つづけて1000、というのをひとまず目標ラインとして提案しておこう。

 

また、この勉強には英語力の増強にとどまらない効果があると述べたが、それについて。これだけひとりの著者の文体を大量に取り込むと、まちがいなく思考回路まで侵食されることになる。われわれの思考パターンは表現の限界に大きく規定されている。とりわけ外国語においてはそうである。つまり逆に言えば、英語の勉強で賢くなってしまうことが期待できるのであり、ひるがえっては、あなたの論文がショボいのは部分的に英語力のせいであるかもしれないということだ(たぶん間違いなくそうである)。

 

何人も選ぶより、内容面でも見習いたいと思えて、かつ大量に書いているような著者をひとり見つけることを推奨する理由はここにある。 2著者選んでそれぞれ半年1000フレーズずつとかやってみ?1年後すっげえぞ。ってことが想像できると思う。

 

パラグラフ写経のポイントは、フレーズ暗記と文体模写を組み合わせるという点にある。覚えたての項目を使うこと自体は難しくないので、フレーズ暗記の効果は断片的にはすぐに現れる。だが、それを短いフレーズからセンテンス単位に拡大し、なおかつそれをひとりの書き手のコーパスから集中的に大量に行うことで、バラバラの暗記がパラダイムのシフトに繋がっているという感覚を掴みやすい、というのがこの勉強法の真髄だ。

 

こうしてパラグラフ写経によって「精読」した論文をあらためて読み直すと、それはもうハンパない解像度とスピード感ですげーちゃんと理解することができる。そのリーディング感覚は、あたかも自分で書いた文書を読んでいるかのように無抵抗である(そう、あなたは書くように読んだのだった)。そうしてつぎつぎと論文を自家薬籠中のものとしてゆけば、あなたの執筆スタイルと読解力は、徐々に、しかし確実に、そしていつか劇的に変化するだろう。

 

もしあなたが現在の文章に──いや論文に──不満を抱いているのなら、このパラグラフ写経を根気よく続けてみてほしい。半年後、そして1年後に、あなたの英語はまったくの別物になっているだろう。それはつまり文体が入れ替わったのだ。

 

その入れ替わった文体であらたに論文を書き始めれば、自分の文章がかつては到達できないと思っていた著者のそれに見劣りしないことに、そしてその事実が第一段落を書いている時点で自分でも手に取るようにわかるという事実そのものに、あなたは驚かされることになるだろう。

 

あらたな文体で書かれる論文、それはあなたの思考をあらたな領域へと飛躍させずにはいないのだ。